文学面
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 04:23 UTC 版)
その文体は自由奔放で新奇な趣向が目立つが、言い換えれば恣意で法則を無視したものが多く、とても後学には真似することができないと大江匡房に評されている。その秀作に対して、慶滋保胤が妬みにも似た感嘆を発したことがある。慶滋保胤はまた、具平親王の問いに対して、以言の詩文は「白砂の庭前、翠松の陰の下、陵王を奏するが如し」清奇であると評した。具平親王からも以言は詩文において「上手」と賞賛された。以言は同時代の高名な文士である紀斉名の詩を批判したことがあり、自らも文才を自負していた様子がうかがえる。 一条朝詩壇の詞華集である『本朝麗藻』の入集数は20首で、2位の具平親王(18首)を抜いて最多入集を果たしている。『和漢朗詠集』(11首)、『本朝文粋』(27首)、『新撰朗詠集』(35首)、『和漢兼作集』(6首)などにも詩文を採られている。『以言集』8帖、『以言序』1帖があったことが平安末期を生きた藤原通憲(信西)の蔵書目録に見えるが、伝わらない。 和歌では『詞花和歌集』雑下に「網代には 沈む水屑も なかりけり 宇治のわたりに 我や住ままし」の1首が入集している。 源俊賢・藤原行成・具平親王との親交も詩作からうかがえる。『江談抄』には彼の詩文にまつわる逸話が多く収められている。
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