文学・芸術に描かれた死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/23 02:53 UTC 版)
文学作品の多くは、死とその風景をモチーフ、あるいは利用してきた。 モチーフとしての用い方としては以下のようなタイプがある[要出典]という。 ストーリーの発端に死を置くもの(『源氏物語』や、『罪と罰』、『ハムレット』など) 死の強烈なイメージを中心的に提示するもの(『若きウェルテルの悩み』や、『オイディプス王』など) 意味と無意味の境界として死をテーマ化するもの(推理小説)。 死の風景は時代と場所によってその描かれ方に類型が見られる。ギリシャ叙事詩においては、戦士達の誇り高き死が頻繁に現われる。近代フランス文学では、例えば、『ゴリオ爺さん』や『ボヴァリー夫人』に見られるようなベッドの上の死の情景と、陰で遺産の計算をする看病人逹の冷やかな様子が頻繁に描かれた。日本の私小説作家達は、自殺や心中のモチーフを頻繁に用いた。 文学的な人物の死とは何か、というテーマに関しては、文学理論家のミハイル・バフチン(1895-1975年)は「美の条件は空間的な境界と時間的な終りを持つことであり、死は文学作品の人物を美的形象とする契機となる[要出典]」という考え方を提示した。 西洋では20世紀の前半に、ハイデッガーやユンガー、ブランショらが、死すべき存在としての人間を肯定的に捉えようとした。 古井由吉(1937年-)は『仮往生伝試文』をはじめとする作品群の中で、死と自己とのかかわり合いを特異な文体で描き出した。死が、対立事項でもなく、恐怖の対象でもなく、ともかくも生が続く限り常にからめとられざるを得ないもの[要出典]として、描かれている。
※この「文学・芸術に描かれた死」の解説は、「死と文化」の解説の一部です。
「文学・芸術に描かれた死」を含む「死と文化」の記事については、「死と文化」の概要を参照ください。
- 文学芸術に描かれた死のページへのリンク