文化・流行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/06 15:14 UTC 版)
詳細は「丹前」を参照 「丹前風呂」からは、多くの文化・流行が起こった。「丹前風呂」に通う遊客、とくに旗本奴・町奴ら侠客、遊冶郎と呼ばれた放蕩者の粋・伊達なスタイルを丹前風(たんぜんふう)、丹前姿(たんぜんすがた)と呼んだ。白い元結で片髷を結った勝山の髪型や、さかやきを剃らずに頭髪を長く伸ばした侠客たちの髪型(丹前立髪)といったヘアスタイル、丹前六方風(たんぜんろっぽうふう)とも呼ばれる、派手な生地・派手な縞柄(丹前縞)による丹前を中心にした服装を指した。「紋日物日の扮装は よしや男の丹前姿」と常磐津節の『戻駕色相肩』(通称『戻駕』)にも歌われた。 「丹前風呂」に通う侠客・放蕩者は、男伊達を気取っていたために、歩き方、手足の振り方に特殊な様式が生まれた。これを舞踊化、様式化したものを「丹前振り」「丹前六方」と言った。「丹前風呂」もすでに消滅し、旗本奴・町奴らも江戸市中から消え去った元禄年間(1688年 - 1704年)には、「丹前物」という歌舞伎舞踊が生まれた。花道からの出の際の特異な歩き方は、現在、歌舞伎狂言『浮世柄比翼稲妻』(四代目鶴屋南北、1823年)からのスピンオフ作『鞘当』で観ることができる。 「丹前風呂」の湯女・吉野が元祖とされる「丹前節」が流行したのは、承応年間(1652年 - 1654年)から明暦(1655年 - 1657年)、万治(1658年 - 1660年)、寛文(1661年 - 1672年)にかけての時期であるといわれ、「丹前風呂」が禁止・廃止される数年前に始まり、その後も吉原遊廓に流れた元湯女たちを通じて、広がった。 『昔話丹前風呂』という滑稽本が、式亭三馬作、歌川国直画でのちに19世紀初期に刊行されている。
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