教養の変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 02:44 UTC 版)
教養の内容は時代・社会とともに変化する。また教養が成立するには社会の一定の範囲に共通の価値観が存在していることが必要である。以下に近代以前の伝統的な教養の例を挙げる。 ヨーロッパの伝統的教養観は上流階級同士の社交界において洗練された振る舞いや会話を楽しむ能力、およびそれに必要な知識や文化的素養であった。バルダッサーレ・カスティリオーネの『宮廷人』(it)がその規範とされている。 中国では科挙の権威を軸として、四書五経を学ぶことや漢詩に通じることが教養とされていた。 日本では古代中国の影響を強く受けるかたちで四書五経や漢詩は伝統的に重要視されてきた。やがて日本独特の諸文芸や和歌がこれらと並ぶようになった。文人画などの絵画を自ら描くことも教養の一部を担っている。 上記のように、古典に通じ、ハイカルチャーを身につけることが伝統的な教養の重要な要素であったといえる。これらはいずれも人格向上の一助とされてきた。 近代以降は出版技術の発達に始まり、大衆の地位・経済力向上などによる普通教育制度の確立、マスメディアなどの普及により大衆が教養を身につける機会は増加していった。
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