教育と不平等
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/30 17:39 UTC 版)
「サミュエル・ボウルズ」の記事における「教育と不平等」の解説
「教育制度は、経済の社会的関係との対応を通じて、経済的不平等を再生産し、人格的発達を歪めるという役割を果たしている」(『アメリカ資本主義と学校教育』)。 ボウルズとギンタスは、教育の社会的関係が生産の社会的関係と構造的に対応しているという「対応原理」を主張した。 1960年代にアメリカ合衆国で全国的に実施された、デューイらの進歩的教育論(Progressive education)に基づく、教育の不平等を是正するためにおこなわれた財政的な再分配政策は、1966年アメリカ教育省による大規模な調査、これを元にした1968年のコールマン報告、そして1972年ジェンクスら『不平等-アメリカにおける家族と学校教育の効果に関する再評価』などによって、不平等の是正という意図された結果を生み出さなかったことが説得的に示された。この結果(失敗)に対して、アーサー・ジェンセン、リチャード・ハーンシュタインは、経済的、社会的不平等といったものは、遺伝学的に決まってくるIQ(知能指数)の格差にもとづくものであって(いわゆる「IQ」論)、遺伝学的特性である以上、どのような改革を行おうと学校教育によって変えることはできないと主張した。 ボウルズは、ネルソンとともに、統計データを用いて、この「IQ」論を批判した。親の経済的成功という変数を統制すると、IQ指数と子供の経済的成功とは、ほぼ相関がなくなる。またギンダスとの最初の共同論文では、「IQ(知能指数)は経済的成功にとって基本的に重要である」という通念が統計的に吟味され反駁され、経済的・社会的不平等はむしろ家庭生活と学校教育によって再生産され、IQ指数はそうした再生産の副産物に過ぎないことが示された。 ボウルズらによれば、進歩的教育論にもとづく教育制度の改革が失敗続きだった最大な原因は、社会統合、平等化、人格的発達という学校教育の機能が、法人資本主義という経済的、社会的体制のもとでは整合的なかたちで働くことができなかったからである。つまり「抑圧、個人の無力化、所得の不平等、機会の不平等は歴史的にみて、教育制度に起因するものではないし、不平等で、抑圧的な今日の学校から生みだされたものではない。抑圧と不平等の起源は、資本主義経済の構造と機能のなかにある。この点に、社会主義の国々をも含めて現代の経済体制を特徴づけるものがあって、人々が経済的生活の管理に参加することを不可能にしている。」
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