敗戦後の業務と廃止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/30 05:13 UTC 版)
1945年(昭和20年)8月の敗戦にともない、防衛担任としての軍管区は意義を失ったが、軍管区司令部は存置された。昭和20年9月5日制定(6日公布、施行)の軍令陸第18号で、軍管区司令部は第1総軍と第2総軍の司令部の指揮下で終戦処理にあたることになった。たとえば、内地鉄道司令官と協議して軍管区内にある部隊の鉄道輸送の計画を立て、混乱がおきないよう主要駅で乗車統制を行うのは、軍管区司令部の役割であった。 11月いっぱいで陸軍省が解体されることになると、軍管区司令部も復員が決められ、その復員の完結日は11月30日とされた。かわって設けられた第一復員省に、復員監部を置いた。復員監部はかつての軍管区司令部にあたり、復員監を長として106人を定員とした 司令部復員により形骸になった軍管区司令部令は、1946年(昭和21年)3月30日の一復達第4号により、翌31日に廃止された。
※この「敗戦後の業務と廃止」の解説は、「軍管区司令部」の解説の一部です。
「敗戦後の業務と廃止」を含む「軍管区司令部」の記事については、「軍管区司令部」の概要を参照ください。
敗戦後の業務と廃止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/08 03:19 UTC 版)
8月の敗戦後も、師管区部隊の補充隊は、治安維持のためしばらく存続することになった。陸軍病院は連合軍に接収された時期を経て厚生省が管理する国立病院に変わった。その他の師管区部隊と軍管区直属の部隊は、個々に復員(解散)した。師管区部隊もやがて復員し、陸軍省が廃止された11月30日には、軍管区司令部・師管区司令部も廃止になった。 軍管区部隊を規定した軍管区司令部令は、1946年(昭和21年)3月30日の一復達第4号により、翌31日に廃止された。
※この「敗戦後の業務と廃止」の解説は、「軍管区部隊」の解説の一部です。
「敗戦後の業務と廃止」を含む「軍管区部隊」の記事については、「軍管区部隊」の概要を参照ください。
敗戦後の業務と廃止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/17 22:52 UTC 版)
8月15日の敗戦後、全陸軍部隊は復員すべきものとされたが、師管区司令部は軍管区司令部、連隊区司令部などともに当分復員を行わないことになった。師管区司令部は復員業務にあたった。 11月いっぱいで陸軍省が解体されることになると、師管区司令部も復員が決められ、その復員の完結日は11月30日とされた。かわって設けられた第一復員省では、かつての師管区司令部の位置に復員監部の支部を置いた。復員監部はかつての軍管区司令部にあたり、師管区司令部はその一部として吸収された形である。支部は支部長以下17名を定員とし、復員監部の所在地には置かれないことが多かった。
※この「敗戦後の業務と廃止」の解説は、「師管区司令部」の解説の一部です。
「敗戦後の業務と廃止」を含む「師管区司令部」の記事については、「師管区司令部」の概要を参照ください。
- 敗戦後の業務と廃止のページへのリンク