救難機器
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/03/18 01:00 UTC 版)
「ゼーノートディーンスト」の記事における「救難機器」の解説
バトル・オブ・ブリテンの期間中にゼーノートディーンストがイギリスとドイツ双方の航空機搭乗員間に発見した問題は、少なくない数の救助された航空機搭乗員が凍るような水から引き揚げられた後20から90分程で意識を失い死亡するという「Rettung Kollaps」(救助虚脱)と呼ばれる症状であった。この問題に関する研究は、低体温症を発する程に極度に温度の低い水に人間を浸けるというダッハウ強制収容所での囚人に対して行われた実験といったもので始められた。その後実験対象の人体を電熱寝袋でくるむ、ぬるま湯や熱い湯に浸す、数人の裸の女性と性交させるといった様々な方法で温めて分析した。この実験の過程で大よそ80から100名の囚人が死亡した。 1940年10月にエルンスト・ウーデットの提言で黄色に塗られた「Rettungsbojen」(海難救助ブイ)がドイツ側の手で航空機の不時着水が起こりがちな水域に設置された。この視認性の高いブイは4名分に十分な食料、水、毛布、乾いた衣服といった非常用の備品を備えた浮き式の物であり、対峙する両陣営の窮地に陥った航空機搭乗員を引き寄せた。イギリス側の航空機搭乗員と船舶乗組員はこれをその形状から「ロブスター・ポット」("Lobster Pots")と呼んだ。ドイツとイギリスの救命艇は時々このブイを見回り、発見した航空機搭乗員はどちらの側であれ救助したが、敵側の兵員は直ぐに捕虜となった。 ゼーノートディーンストが独自の研究で考案して採用した新しい救助用の装備品は、ドイツ空軍内でも広く活用されるようになった。明緑色のフルオレセイン染料は不時着水した地点を明示するために有効なことが分かり、全てのドイツ軍機がこの染料を携行し始めた。単発機も含め全ての戦闘用航空機向けに小型の救命浮船が開発された。
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