政界入り、与党幹部とは? わかりやすく解説

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政界入り、与党幹部

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 15:37 UTC 版)

李鍾賛 (1936年生)」の記事における「政界入り、与党幹部」の解説

中央情報部で企画調整室長の任についていた最中1979年10月26日朴正煕大統領暗殺された(1026事件)。この事件後、新軍部勢力リーダーであった全斗煥将軍1980年4月中央情報部部長代理就任した下で、指針通り仕事処理したことで能力認められ政界入りきっかけ作った。そして、同年10月発足した国家保衛立法会議委員任命され中央情報部の企画調整室長として新軍部勢力与党となる「民主正義党」(民正党)の創党作業かかわった。翌1981年3月11代国会議員選挙ソウル特別市鍾路区中区選挙区から出馬して初当選し、政界入りした。当選後国家運営委員長と民正党初代院内総務の職に就いた民正党内で穏健派位置していた李鍾賛は、1985年2月12代国会議員選挙後全斗煥政権制定しようとしていた学園安定法案学生運動封じ込め目的とした法案日本における大学管理法に相当)に反対姿勢示した同年8月院内総務の職を退いた後は、党内外における基盤固めと共に在野人士反政府知識人交流するなど穏健改革派として活躍した民主化実現後に行われた1988年4月第13代国会議員選挙鍾路区選挙区で3選を果たし選挙後5月政務第1長官に、12月民正党事務総長任命された。その後、民正・民主共和の3党が合同し結成され民主自由党民自党)に入党し1992年3月14代国会議員選挙当選した

※この「政界入り、与党幹部」の解説は、「李鍾賛 (1936年生)」の解説の一部です。
「政界入り、与党幹部」を含む「李鍾賛 (1936年生)」の記事については、「李鍾賛 (1936年生)」の概要を参照ください。

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