放棄試合・没収試合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 06:51 UTC 版)
「日本の高校野球」の記事における「放棄試合・没収試合」の解説
放棄試合・没収試合は全国大会での例はないが、地方大会で発生している。主な原因は一方的な試合展開による人数不足が原因であるが、下記のような例もある。 1959年の島根県大会準決勝では前日日没再試合となった後再試合の実行を前に大社高校側が審判の交代や主催者の謝罪を要求。高野連側が拒否し試合を開始、大社高校側が納得せず守備につかなかったため、大社高校に没収試合が宣せられた。 1969年の長野県大会では打球の判定をめぐりスタンドから数人が乱入、試合が中断。丸子実高側が日没再試合狙いの遅延行為に出たため没収試合の裁定が下るがこの裁定に激昂した丸子実高側の観客がスタンドに放火、球場設備を壊すなどの暴動を起こし、逮捕者2名を出した。試合後丸子実高には2年間の対外試合停止処分が課されたが11カ月後に処分は解除された。 2007年の大阪府大会では飛翔館(現:近大泉州)の投手が打球の直撃で心肺停止状態に陥り、AEDによる蘇生措置によって一命を取り留めるという事態が発生。この出来事にショックを受けた飛翔館側から放棄試合とすることが申し入れられた。「自動体外式除細動器#日本での普及」も参照 2008年の埼玉県大会では川本高校の先発投手の投球数が250球を超えたことから(2回途中0対66で負けていた)、選手の健康を考え川本高校の監督が試合放棄を申し出て受理された。 2011年の広島県大会では広島井口高と広島工大高、双方の選手が熱中症で次々に倒れ、特に広島工大高は控え選手まで使い切ってしまったため試合続行が不可能となり没収試合が宣告された。詳細は「没収試合#日本高校野球」を参照
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