攻撃失敗、その後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/03 23:57 UTC 版)
「ホンカニエミの戦い」の記事における「攻撃失敗、その後」の解説
クンナ大尉は午後10時に攻撃を中止し、撤退する命令を出した。フィンランド最初の戦車戦は失敗に終わった。この失敗の原因は訓練すらなく戦車戦未経験だったことや、イギリスから戦車を買い入れる際に砲、照準、無線や挙句の果てには運転席まで取り外して資金を節約したため戦車自体がちぐはぐだったこと等が原因と考えられる。(砲はスウェーデン、ボフォース製のものをとりつけた)。また無線の不備のため戦車同士の交信が不可能であり、個々の戦車がそれぞれの判断で戦わざるを得なかった。 全体の戦闘で下士官が一名戦死し、二人の将校と二人の下士官、三人の二等兵を失ったとされる。しかしながらこの攻勢で稼いだ時間で予備部隊を呼び寄せ、戦線崩壊は何とかまぬがれたのである。1940年2月27日、第四戦車中隊の生き残った8両の戦車は対戦車任務のためラウタランピ地区に後送された。 この項目は、戦争に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:戦争/PJ軍事史)。
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