採決と大統領の署名
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「アメリカ合衆国の対日宣戦布告」の記事における「採決と大統領の署名」の解説
1941年12月8日午後12時、フランクリン・ルーズベルト大統領は、議会の合同会議において演説を行い、宣戦布告を正式に要求した。まもなく、宣戦布告について議会で採決が行われ、午後1時10分には上院と下院で可決された。採決結果は、上院82–0、下院388–1であった。 宣戦布告に反対したのは、女性で最初の連邦議員でモンタナ州選出の共和党員のジャネット・ランキンただ一人で、彼女は平和主義者として活動しており、仲間の一部から非難された。ランキンは1917年、アメリカ合衆国が第一次世界大戦に参戦するきっかけになった宣戦布告に反対した56人の一人となっていたが、この時は彼女のみが反対であり、一部の同僚議員からは全会一致にするために翻意する(少なくとも棄権する)ように求められたが「女性として戦争には行けない以上、誰も戦争に送ることはできない」と述べ拒否した。ランキンは当時アメリカの下院に議席を持っていた女性10人の一人であった。採決の後、記者はランキンを共和党員のクロークルームまで追いかけたが、いかなるコメントも拒否し、合衆国議会警察がクロークルームから立ち退かせるまで、電話ブースに避難していた。2日後にドイツとイタリアに対する宣戦布告が同じように採決されたが、彼女は棄権した。 大統領は同日の午後4時10分に宣戦布告に署名した。アメリカ合衆国憲法により、宣戦布告を行う権限は専ら上院にあり、大統領の署名が技術的に必要だったかどうかは未解決な問題となっているが [要検証 – ノート]、大統領の署名は象徴的な意味で強力なものであり、あらゆる懸念を解決するものであった。
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