振亜社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 06:57 UTC 版)
草間時福によると、振亜社は曾根俊虎が金子弥兵衛、宮島誠一郎、鉅鹿赫太郎らと協力して生まれた支那語学校というが、内実はほとんど分かっていない。大陸での情報収集等の任務を遂行していた曾根俊虎は、帰国直後に天皇の謁見を受け、『清国近世乱誌』『諸砲台図』を献納して、褒辞を受けた。日本側からの大陸浪人の支援には、北沢正誠・小牧昌業・岡本監輔・岡鹿門(千仞)らが熱心であり、高崎藩主の大河内輝声や黄遵憲とも結びながら、のちにこれらは興亜会の重要メンバーとして登場してくる。他に南部藩の東政図(南部次郎)、前田謙吉が関わった。福沢諭吉と門下生が熱心だった壬午事変・甲申政変に関与し、1884年(明治17年)8月には清仏戦争に乗じて派遣された陸軍の福島安正、小島正保、小沢徳平、小沢豁郎、青木宣純らが支那の地下組織「哥老会」を利用して起こそうとした革命(福州事件)にも曽根は外交官としての立場から関与した。しかしながら伊藤博文など明治政府からは敵対視され、曽根は拘禁の身となった。同じような性質を持った浪人団体では、ロシア・ウラジオストクで革命運動に従事していた内田甲(良平)が「黒龍会」を設立している。
※この「振亜社」の解説は、「興亜会」の解説の一部です。
「振亜社」を含む「興亜会」の記事については、「興亜会」の概要を参照ください。
- 振亜社のページへのリンク