抜合思巴とは? わかりやすく解説

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パクパ

(抜合思巴 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/05 20:52 UTC 版)

ドグン・チューギェン・パクパチベット文字འགྲོ་མགོན་ཆོས་རྒྱལ་འཕགས་པ་ワイリー方式Gro mgon Chos rgyal 'Phags pa1235年3月6日 - 1280年11月22日)は、チベット仏教サキャ派(赤帽派)の座主元朝の初代皇帝クビライに招請された帝師モンゴル語化したパスパの名前で表記されることも多く[1]漢語史料では八思巴発思八抜合思巴とも表記される[2]。本名はロドゥ・ギェンツェン(bLo gros rgyal mtshan)であり、幼年期に利発さを示したため、「聖者」を意味するパクパの名前で呼ばれた[2]


注釈

  1. ^ 金輪は転輪聖王の最高位である金輪王を象徴する。
  2. ^ ポンチェンとは、軍事・行政の監督官である。サキャのポンチェンは帝師の下に置かれ、アムドカムなどの他地域に置かれたポンチェンよりも強い権限を有していた。(ロラン・デエ『チベット史』(今枝由郎訳, 春秋社, 2005年10月)、97頁)

出典

  1. ^ a b c d e 佐藤「パクパ」『世界伝記大事典 世界編』7巻、296-297頁
  2. ^ a b c d e f 藤枝「パスパ」『アジア歴史事典』7巻、372頁
  3. ^ 岡田『モンゴル帝国から大清帝国へ』、129頁
  4. ^ デイヴィッド・スネルグローヴ、ヒュー・リチャードソン『チベット文化史』(奥山直司訳, 春秋社, 2011年3月)、194頁
  5. ^ a b ドーソン『モンゴル帝国史』3巻、38頁
  6. ^ 北川誠一、杉山正明『大モンゴルの時代』(世界の歴史9, 中央公論社, 1997年8月)198頁
  7. ^ a b 山口『チベット』下、72頁
  8. ^ a b 藤枝「パスパ文字」『アジア歴史事典』7巻、372-373頁
  9. ^ ドーソン『モンゴル帝国史』3巻、39-40頁
  10. ^ 中村「チベットとモンゴルの邂逅 遥かなる後世へのめばえ」『中央ユーラシアの統合』、137頁
  11. ^ a b 石濱裕美子「チベット仏教世界の形成と展開」『中央ユーラシア史』収録(小松久男編, 新版世界各国史, 山川出版社, 2000年10月)、252-253頁
  12. ^ 中村「チベットとモンゴルの邂逅 遥かなる後世へのめばえ」『中央ユーラシアの統合』、124-125頁
  13. ^ 中村「チベットとモンゴルの邂逅 遥かなる後世へのめばえ」『中央ユーラシアの統合』、128-129頁
  14. ^ 中村「チベットとモンゴルの邂逅 遥かなる後世へのめばえ」『中央ユーラシアの統合』、125頁
  15. ^ a b ロラン・デエ『チベット史』(今枝由郎訳, 春秋社, 2005年10月)、100頁
  16. ^ 山口『チベット』下、74頁
  17. ^ 三友健容、『パスパのアビダルマ理解』、印度學佛教學研究 57(2)、2009年3月、p.1053
  18. ^ デイヴィッド・スネルグローヴ、ヒュー・リチャードソン『チベット文化史』(奥山直司訳, 春秋社, 2011年3月)、221頁


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