技術仕様の統合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/24 15:58 UTC 版)
この報告が1844年11月2日にマドリード官報で発表された後、同文書の仕様は同年12月31日の勅令により承認された。このように、スペインの歴史の中で初めて、スペイン国内の鉄道に関する技術的な条件が確立された。 1851年12月6日、当時の公共事業大臣マリアーノ・ミゲル・デ・レイノソが推進した法案が下院に提出された。その法案の中で、将来建設される鉄道の軌間は、ロシアの線路で使用されているのと同じ1510mm(5.43カスティーリャフィート)にすべきであると述べられていた。この主張は、これまでに構築されたスペインの鉄道ネットワークの均一性を破れることを意味するだけでなく、ヨーロッパ大陸で広く使用されている標準軌との接続にもできなくするものであった。 ヨーロッパで認められたエンジニアに相談した後、従来の6カスティーリャフィート軌間を見直す発案は脇に置かれることとなった。だが、同じブラボームリーリョ政権で、線路の軌間を変える新しい試みが出てきたことはあまりよく知られていない。1853年4月28日勅令によって、イベリア軌間の存続が再び確認された。 1855年6月5日の鉄道に関する一般法の公布と施行により、スペインの鉄道の軌間は6カスティーリャフィートであると法的に決められた。イサベル2世によって認可されたその法律は、第30条(1)に「車軸の内側の端の間は1メートル67センチメートル(6カスティーリャフィート)でなければならない」と記された。 イベリア軌間はそれ以来20世紀の後半まで変わらず、「民主主義の六年間(スペイン語版)」(1868 - 1874年)の以前に法律の規定を継続した法定文書である1877年の一般鉄道法でも再確認された。当然のことながら、1855年の鉄道に関する一般法と同じ文言で再度記載されたが、1877年の一般鉄道法では第43条第1項で、「適用可能な軌間は一般に6カスティーリャフィートである」と記された。
※この「技術仕様の統合」の解説は、「イベリア軌間」の解説の一部です。
「技術仕様の統合」を含む「イベリア軌間」の記事については、「イベリア軌間」の概要を参照ください。
- 技術仕様の統合のページへのリンク