手話狂言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/04 14:16 UTC 版)
手話狂言は、黒柳の発案で、狂言師の三宅右近の指導を受けて日本ろう者劇団が始めたものである。「時間が短くて世界に通じる笑いを」という黒柳の発案で企画された。能楽にも造詣の深い黒柳は、和泉流狂言師・三宅右近が中学生の頃からの舞台を観ており、その後の和泉家の問題など右近の苦労をよく知っていた。黒柳は、「人の辛さ、苦しさが分かる人。指導者として、素晴らしい人」と、右近に協力を依頼した。 手話狂言とは、舞台上で、劇団員がセリフを手話で表情豊かに演じ、その所作(動き)に合わせて狂言師が袖で発声を行う、聞こえる人も聞こえない人も共に楽しむことが出来る狂言である。 狂言の古い口語のニュアンスを表現するため古い形の手話を使い、手話と声とのタイミングや、間のとり方にも工夫が重ねられ、健常者に勝るとも劣らない狂言として、古典芸能の強靭さを持つ手話狂言が誕生した。 1983年、兵庫県芦屋市のルナホールで旗揚げ公演(演目「六地蔵」)。全国7ヵ所の巡回公演を経て、イタリア・パレルモで開催された「世界ろう者会議・演劇祭典」で上演された。 その後も、全国各地、世界各国で上演され、2006年の横濱世界演劇祭でも上演されている。 1987年、文化庁芸術祭賞受賞。 2002年、内閣総理大臣表彰を受けている。
※この「手話狂言」の解説は、「手話劇」の解説の一部です。
「手話狂言」を含む「手話劇」の記事については、「手話劇」の概要を参照ください。
手話狂言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 16:27 UTC 版)
日本ろう者劇団では、ろう者による手話狂言を上演している。三宅右近は、一から彼らを指導し、健常者に勝るとも劣らない狂言として手話狂言を誕生させた。 手話狂言は、日本ろう者劇団(社会福祉法人トット基金付帯劇団)において、「時間が短くて世界に通じる笑いを」というトット基金理事長・黒柳徹子の発案で企画されたもの。能楽にも造詣の深い黒柳徹子は、右近が中学生の頃からの舞台を観ており、その後の和泉家の問題など右近の苦労をよく知っていた。黒柳は、「人の辛さ、苦しさが分かる人。指導者として、素晴らしい人」と、右近に協力を依頼した。 手話狂言とは、舞台上で、劇団員がセリフを手話で表情豊かに演じ、その所作(動き)に合わせて狂言師が袖で発声を行う、聞こえる人も聞こえない人も共に楽しむことが出来る狂言である。 狂言の古い口語のニュアンスを表現するため古い形の手話を使い、手話と声とのタイミングや、間のとり方にも工夫が重ねられ、古典芸能の強靭さを持つ手話狂言が誕生した。 1983年、兵庫県芦屋市のルナホールで旗揚げ公演(演目「六地蔵」)。全国7ヵ所の巡回公演を経て、イタリア・パレルモで開催された「世界ろう者会議・演劇祭典」で上演された。 その後も、全国各地、世界各国で上演され、2006年の横濱世界演劇祭でも上演されている。 1987年、文化庁芸術祭賞受賞。 2002年、内閣総理大臣表彰を受けている。
※この「手話狂言」の解説は、「三宅右近」の解説の一部です。
「手話狂言」を含む「三宅右近」の記事については、「三宅右近」の概要を参照ください。
- 手話狂言のページへのリンク