手稲山コース時代の合宿形態
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「日本学生ボブスレー連盟」の記事における「手稲山コース時代の合宿形態」の解説
大学の部員達は、合同で手稲オリンピア研修センターに約2週間泊り込み合宿・大会を行う。前半の1週間は1年生の練習を行った後で新人戦を行う。後半1週間で上級生の大会を開催し、新人戦との合計ポイントで大学間の順位を競っていた。合宿中は、コースの維持・補修も学生が行うため、朝は除雪を行い、夜は班を編成し交代でゴールハウスに泊り込み散水等を行っていた。 1996年合宿の札幌大学部員に密着した模様は、日曜ソリトン-夢ときどき晴れ!-激走!一瞬の冬 ~ボブスレー札幌の陣~(放送日1996年2月11日)にて放送された。 また、1992年テレビ朝日ニュースステーションの取材時には、仙台大学チームが12カーブからコース外に飛び出す様子が撮影・放送された(選手に怪我は無し)。 1998年1月の某大学の合宿の様子(日記)は、学連HPにて公開されている。
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