手研耳命の暗殺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/11 00:20 UTC 版)
この年の11月、神渟名川耳尊とその兄の神八井耳命はひそかに(『古事記』によれば母の歌により)手研耳命の志を知って、これを防いだ。すなわち、山陵の事が終わるに至って、弓部稚彦(弓削部稚彦)には弓を、倭鍜部天津真浦には真麛鏃を、矢部には箭をつくらせた。弓矢が完成するに及んで、神渟名川耳尊は手研耳命を射殺そうと思った。 二人は手研耳命が片丘の大窨(おおむろ)の中に有り、ひとり大床に臥せっているのに行き合った。この時神渟名川耳尊は、兄の神八井耳命に 今適(たまたま)其時なり。夫れ言(こと)密を尊び、言は宜(よろ)しく慎むべし。故(かれ)我の陰謀本より預者無し。今日の事は、唯吾爾(いまし)と自(み)行いたまはくのみ。吾当(まさ)に先(ま)ず窨(むろ)の戸を開(あ)けむ。爾其れ射よ。 と言い、手研耳命を射殺す役目を兄に与えた。二人は窨(むろ)に進入し、神渟名川耳尊はその戸を突き開けた。しかし神八井耳命は手脚が戦慄し、矢をいることができなかった。この時神渟名川耳尊は兄の所持していた弓矢を掣(ひ)き取り、手研耳命を射た。一発目は胸に中(あ)たり、二発目は背に中たってついに殺した。
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