戦車撃破章
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/11 15:03 UTC 版)
| 戦車撃破章 Panzervernichtungsabzeichen |
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|---|---|
| 種別 | 勲章 |
| 受章資格 | 単身攻撃による戦車の撃破 |
| 対象戦役 | 第二次世界大戦 |
| 歴史・統計 | |
| 創設 | 1942年3月9日 |
| 総授与数 | 金章:400 銀章:18,000 |
(上)右腕に戦車撃破章金章・銀章を着用したドイツ陸軍突撃砲兵のマネキン (下)戦車撃破章金章の略綬 |
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戦車撃破章(せんしゃげきはしょう、ドイツ語: Sonderabzeichen für das Niederkämpfen von Panzerkampfwagen durch Einzelkämpfer、ドイツ語: Panzervernichtungsabzeichen)は、ナチス・ドイツの勲章。
概要
1942年3月9日にアドルフ・ヒトラーにより制定された戦車撃破章は、擲弾など携行可能な火器を用いて戦車を撃破した者に授与された。1941年6月22日までさかのぼったバルバロッサ作戦等も授与の対象とされた。
1943年12月18日には戦車撃破章金章が制定され、5輌撃破で金章が授与されるようになった[1]。それまでは1輌撃破ごとに銀章が与えられていたが、これを機に今までの銀章も5枚で金章1枚と交換することが可能となった。
デザイン
製造業者によって若干の差異があるが、横88mm・縦33mmの長方形リボンの真ん中に、プレス成型された横42mm・縦18mmのIV号戦車バッジが取り付けられている。また、リボンの上下ともに2mmの箇所に幅4mmの線が横に走っている。リボンの裏側には2本ないし3本のピンがあり、これらを上衣の右上腕部に突き通し、裏側から留め具で固定することで佩用した。
著名な受章者
| 名前 | 写真 | 撃破数 | 備考 |
|---|---|---|---|
| ギュンター・フィーツェン | 21 | ||
| フリードリヒ・アンディング | 18 | ||
| ハインツ・ヘウアー | 13 | すべてベルリンの戦いの最中に撃破 | |
| アドルフ・パイヒル | 11 | ||
| ウジェーヌ・ヴォロ | 10 | フランス人初の騎士鉄十字章受章者 | |
| ヨハネス=マティアス・ヘーンシャイト | 7 | ||
| ヘルマン・ドロップマン | 5 | ||
| ペーター・キースゲン | 5 | ||
| ミヒャエル・ペシンガー | 5 | ||
| ヨハネス・ルッツ | 5 | ヒュルトゲンの森の戦いの際、1日でアメリカ戦車を5輌撃破 | |
| ボード・シュプランツ | 4 | ||
| ヨーゼフ・ベックマン | 4 | ||
| ハインリヒ・アーレンス | 4 | ||
| ハンス=ゲオルク・ボルク | 4 | ||
| ヴァルター・クーン | 4 | 20分間で4輌のソ連戦車を破壊 | |
| フランツ・ベーケ | 3 | ||
| ハンス・ドア | 2 | ||
| ジルヴェスター・シュタッドラー | 2 | ||
| マックス・レック | 2 | ||
| ギュンター=エーベルハルト・ヴィスリツェニー | 2 | ||
| カール・アウエル | 1 | ||
| エルンスト=ギュンター・バーデ | 1 | ||
| ルドルフ・デメ | 1 | ||
| ハインツ=ゲオルク・レム | 1 | ||
| ヴェルナー・ママート | 1 | ||
| ヨアヒム・パイパー | 1 | ||
| テオドール・トルスドルフ | 1 |
脚注
外部リンク
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