前任者との争い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/27 17:44 UTC 版)
「ヴィルヘルム・ヴェーバー (親衛隊隊員)」の記事における「前任者との争い」の解説
1944年11月初旬、ヴィルヘルム・ヴェーバーSS少尉(11月9日付でSS中尉に昇進)はドイツ中央部のレーン山地(Rhön)にある演習場「ヴィルトフレッケン演習場」(Truppenübungsplatz Wildflecken)で訓練中のSS所属武装擲弾兵旅団「シャルルマーニュ」に着任した。 「シャルルマーニュ」旅団のドイツ人部署「フランスSS部隊査察部」(Inspektion der Französischen SS-Verbänd)の最高査察官も務めるフランスSS部隊総監グスタフ・クルケンベルクSS少将は、ヴェーバーを「シャルルマーニュ」旅団将兵の模範となるべきエリート歩兵部隊として創設した「警備・訓練中隊」(Wach-und Ausbildungskompanie) に配属し、中隊創設当初からのフランス人中隊長クリスティアン・マルトレSS義勇少尉(SS-Frw. Ustuf. Christian Martrès:「シャルルマーニュ」旅団で2番目に最年少のフランス人将校)と協力して隊員の育成にあたるよう命じた。 しかし、着任初日、マルトレの執務室に入ったヴェーバーはあたかも自分の執務室・自分の机であるかのようにマルトレの机の引き出しを開け、中身を調べ始めた。中隊長である自分を完全にないがしろにするこのドイツ人将校ヴィルヘルム・ヴェーバー(当時26歳。一級鉄十字章、白兵戦章銀章、戦車撃破章受章者)の行動に、マルトレSS義勇少尉(当時18歳。前線経験無し)は怒りを爆発させた。 その後も両者は事あるごとに衝突を繰り返したため、「シャルルマーニュ」旅団上層部はやむを得ずマルトレSS義勇少尉を第57SS所属武装擲弾兵連隊(Waffen-Grenadier-Regiment der SS 57)本部の当直として転属させ、事態を収拾した。エリート中隊の指揮官からうって変わって閑職も同然のポストに就かされたマルトレはすこぶる不満であったものの、命令は命令として受け入れ、警備・訓練中隊を去った。こうして、ヴェーバーは「シャルルマーニュ」旅団のエリート歩兵部隊「警備・訓練中隊」の指揮官に就任した。
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