戦後・冷戦期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 06:11 UTC 版)
「V・O・マールィシェウ記念工場」の記事における「戦後・冷戦期」の解説
ハリコフを奪還した際に、1945年に新しいT-44 戦車の生産が始まり、T-54の最初の試作品が作られた。戦後、設計局と工場は、徐々に全ての業務をウクライナに戻していった。T-54の生産は、1947-48年にウラルとハリコフで行なわれ、1951年にはウクライナへの移動が完了し、ハリコフに設計局がKB-60Mという名称で再度設立された。第183工場の名前はニジニ・タギルに残され、ハリコフの工場は第75工場と呼ばれ、後の1957年にマールィシェフ記念工場へ名称変更された。戦車のエンジンの組み立てと、後にT-54、T-55 (1958年に最も製造された戦車)、T-64(1967年)の製造を行なった。T-64は、レニングラードのキーロフ工場とウラル車輌工場で組み立てられた。1960年代、設計局は、OT-54、OT-55火炎放射器戦車を設計し、生産はオムスク輸送機器製造工場で行なわれた。 高性能なガスタービンエンジンを搭載したT-80を1983年より生産し、ディーゼルエンジンに変更した派生形であるT-80UDを1985年より生産した。
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