戦後、台湾での活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/12 14:43 UTC 版)
戦後の梁寒操は、台湾『中華日報』董事と香港新亜書院教官を務めている。1946年(民国35年)11月、制憲国民大会代表に選出され、1948年(民国37年)に立法院立法委員に復任した。1949年(民国38年)、香港に赴き、培正中学・新亜書院で再び教官を務めた。 1954年(民国43年)に梁寒操は台湾に移り、中国広播公司董事長となる。1957年(民国46年)10月に国民党第8期中央評議委員に選出された(第9期も同様)。中美文化経済教会理事長、革命実践研究院国父遺教講席(講師)、東呉大学教授などを歴任した。1972年(民国61年)に退職したが、その後も中国広播公司と中国電視公司で常務董事を務めている。1975年(民国64年)には総統府国策顧問となった。 1975年(民国64年)2月26日、台北市にて死去。享年77(満75歳)。
※この「戦後、台湾での活動」の解説は、「梁寒操」の解説の一部です。
「戦後、台湾での活動」を含む「梁寒操」の記事については、「梁寒操」の概要を参照ください。
- 戦後、台湾での活動のページへのリンク