戦争画家・平和主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 16:01 UTC 版)
「ヴァシーリー・ヴェレシチャーギン」の記事における「戦争画家・平和主義」の解説
以後、彼は平和主義者として、戦争の悲惨さを現地でのスケッチを基にした写実的な絵画で表現してゆくことになる。そのため戦争を描いた彼の絵には死者、負傷者、略奪、野戦病院、雪に埋まった兵士の遺体などがよく登場する。こうしたテーマは、普段絵画や美術に関心のない人々をも惹き付けた。また彼の民主主義的思想は、移動派に近いものだった。それまでの英雄礼賛だった戦争絵画に、哲学的な意味を持たせるようになった。連作が多く、トルキスタン遠征(1871年‐1874年)、露土戦争(1877‐1878年、1880年以後)、ナポレオン・ボナパルトの侵攻を迎え撃った祖国戦争をテーマに描いたものがある。特に後者からはボロジノの戦いを描いた代表作『ボロジノのナポレオン』が生まれている。 彼の絵は戦争をテーマとしている故にプロパガンダに利用されることもあった。別の代表作『戦争の結末』は頭蓋骨の山を描いたものであるが、1980年に出版されたアルメニア人虐殺について書かれた本の表紙に「1916年、西アルメニアにおけるトルコによる残虐行為」というキャプションをつけて掲載され、後にヴェレシチャーギンの作品であることが判明している。
※この「戦争画家・平和主義」の解説は、「ヴァシーリー・ヴェレシチャーギン」の解説の一部です。
「戦争画家・平和主義」を含む「ヴァシーリー・ヴェレシチャーギン」の記事については、「ヴァシーリー・ヴェレシチャーギン」の概要を参照ください。
- 戦争画家平和主義のページへのリンク