急行列車運用から撤退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/18 05:05 UTC 版)
「小田急2400形電車」の記事における「急行列車運用から撤退」の解説
1968年から1969年にかけて、OM-ATSの設置が行われたほか、1969年には正面の連結器が密着自動連結器から密着連結器に交換され、同時期には列車種別表示装置(種別幕)の設置が行われた。 なお、1972年、2551×4のクハ2551に台枠下部覆い(スカート)を試験的に取付けたが、中型車は不採用となり、1977年に撤去された。 1979年からは車体修繕工事が開始され、1982年までに4編成を除いて完了した。 この時期になると、急行列車について10両編成での運行や車両大型化が進められ、HE車の急行運用は減少しており、1979年3月からは多摩線の各駅停車にも運用されるようになったが、前述のとおり箱根登山鉄道線への直通する湯本急行については、大型車が乗り入れできなかったためにHE車が主力として運用されていた。しかしながら、急行列車が大型車による10両編成で運行される状況下、中型車の4両編成では輸送力不足となっていた。これを解決するため、1982年7月12日から湯本急行に使用される車両の大型化が開始され、HE車は湯本急行の運用から撤退した。 その後も江ノ島線の急行列車へは運用されていたが、1985年4月には日中の急行列車の運用から外された。なお、1982年からはABFM車の淘汰が開始されており、その過程で同年11月からABFM車とHE車を連結した運用が復活している。
※この「急行列車運用から撤退」の解説は、「小田急2400形電車」の解説の一部です。
「急行列車運用から撤退」を含む「小田急2400形電車」の記事については、「小田急2400形電車」の概要を参照ください。
- 急行列車運用から撤退のページへのリンク