徳川道(とくがわみち)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 05:08 UTC 版)
慶応3年(1867年)12月7日に開通した、西国街道の迂回路。兵庫港が開港されることとなり、外国人との不都合な接触を恐れた幕府が作ったため、徳川道の名がある。全長約33km で、総予算額は当時の貨幣で3万6,189両であった。兵庫港開港と同一日12月7日に開通したが、同時期に江戸幕府が崩壊し明治新政府となり参勤交代が無くなったため、徳川道が公式に使われることはなかった。その後慶応4年(1868年)8月13日付で廃止され、使う人も減り廃道となった。さらに鈴蘭台や須磨ニュータウンなどの大規模な宅地開発が行われたため、鈴蘭台より西の区間は白川に痕跡が残る以外、道跡はほとんど失われている。しかし、杣谷登山口から森林植物園の間約4.7 km は摩耶山周辺の登山道として再整備され、徳川道を歩くことができる。かつて1970年代に神戸市が整備したハイキングコース旧「太陽と緑の道」は、この徳川道をベースにしていたものもあった。 起点:西国街道(現在の国道2号線 灘区御影石町付近) - 石屋川 - 阪急六甲駅南・八幡町 - 神戸護国神社 - 杣谷(そまだに)登山口 - (杣谷沿い) - 杣谷峠 - (摩耶山北斜面) - 桜谷分岐 - (生田川沿い) - 森林植物園東門 - 弘陵学園高校正門前 - 北区山田町小部 - 鈴蘭台 - 白川 - 高塚山 - 終点:西国街道(現在の国道2号線 明石市大蔵谷付近)
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徳川道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 17:21 UTC 版)
幕末の兵庫港開港に伴い、生麦事件のような外国人と大名行列の衝突を避けるために、石屋川(神戸市東灘区)から大蔵谷(明石市)の間を六甲山中を抜けて迂回する西国往還付替道が開削された。兵庫港開港と同日の慶応3年(1867年)12月7日に開通したこの付替道は全長約33kmで、総予算額は当時の貨幣で3万6,189両であった。しかし、開通3か月後の慶応4年(1868年)3月に外国人居留地を小迂回する別の道が設けられるとともに、同時期に明治新政府が発足し参勤交代が廃止されたため公式に使われることは一度もないまま、慶応4年(1868年)8月13日付で廃止された。その後この付替道はほとんど使われることなく廃れていったが、近年になり六甲山系摩耶山登山道として神戸市内の一部分約4.7km(杣谷登山口 - 杣谷峠 - 桜谷分岐 - 森林植物園東口) が再整備され、この区間を地元では徳川道と呼んでいる。 「神戸事件」も参照 起点: 西国街道より分岐(現在の国道2号線 灘区御影石町 付近) - 石屋川 - 阪急六甲駅南・八幡町 - 神戸護国神社 - 杣谷(そまだに)登山口 - (杣谷沿い) - 杣谷峠 - (摩耶山北斜面) - 桜谷分岐 - (生田川沿い) - 森林植物園東門 - 弘陵学園高校正門前 - 北区山田町小部 - 鈴蘭台 - 白川 - 高塚山 - 終点:西国街道より分岐(現在の国道2号線 明石市大蔵谷付近)
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