復帰後・引退まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 06:52 UTC 版)
1945年終盤になってインディアンスに復帰、フェラーの復帰後初登板となったニューヨーク・ヤンキース戦でも12奪三振の完投勝利を収めた。この年は5勝3敗に終わったが、兵役中にスライダーを習得し、翌1946年には26勝15敗、防御率2.18、奪三振348で最多勝利、最多奪三振のタイトルを獲得した。36完投、10完封をあげ、4月30日のヤンキース戦では自身2度目のノーヒットノーランを達成している。 1948年には19勝15敗、防御率3.56、255奪三振で最多奪三振を獲得。チームのワールドシリーズ制覇に貢献した(以後、半世紀以上にわたってインディアンスはワールドチャンピオンから遠ざかっている。)。1951年には自身6度目の最多勝利を獲得し、同年7月1日のデトロイト・タイガース戦では自身3度目のノーヒッター(1失点)を達成した。 フェラーはその後も活躍を続け、1950年代にはボブ・レモン(殿堂入り)、アーリー・ウィン(殿堂入り)、マイク・ガルシアと共に「ザ・ビッグ・フォー」と呼ばれた先発ローテーションを形成し、1954年には13勝を挙げてチームをワールドシリーズ出場に導いた。 これ以後、フェラーは精彩を欠きシーズン未勝利に終わった1956年限りで現役を引退した。 フェラーの現役時代にジャッキー・ロビンソンのメジャーデビューについては否定的だった。フェラーはロビンソンのメジャーデビューを宣伝目的であると考えており、「彼は力不足だ。良い打者になるには筋肉があまりにつきすぎている。もしも彼が白人であったら果たしてスカウトは彼を拾っただろうか」と述べている。
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