御谷騒動・鎌倉風致保存会とは? わかりやすく解説

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御谷騒動・鎌倉風致保存会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/02 14:38 UTC 版)

原実 (市民運動家)」の記事における「御谷騒動・鎌倉風致保存会」の解説

1964年昭和39年)、鶴岡八幡宮背後(御谷)の開発計画神奈川県承認を受ける見込みとなり、町内会中心に地域住民から反対運動がおこる。「鎌倉の自然を守る会」に対して協力要請が行われ、会も反対運動加わった。原は開発計画阻止すべく永海秋三とともに沢田節蔵添書得て内山岩太郎神奈川県知事面会する内山は原らの申出好意的で、法律上開発許可せざるを得ないが、ただ一つ方法は「市民運動起こす世論の力」であると述べたこうした発言受けて地元町内会内山知事現地視察が行われた6月1日までの一週間で、2万を超す署名集める。知事現地視察後の記者会見で、原との面会に際して発言同趣旨を繰り返した地域住民は、財団法人鎌倉風致保存会結成して寄付金集め開発予定地の一部買収成功した。この活動日本最初ナショナルトラスト運動である。財団には山本正一鎌倉市長市議会議長市商工会議所会頭なども参加し理事長藤井崇治副理事長村田良策神奈川県立博物館館長)が就任理事野尻清彦は大佛次郎で、他に菅原通済などが、顧問には里見弴今日出海横山隆一有島生馬などが就任している。県は12月規模縮小した開発許可を出すが、業者開発計画断念した。原はこの御谷騒動での運動を「それまでは勿論今後もないかもしれない強烈な文字どおり死に物狂い反対運動」と回顧している。

※この「御谷騒動・鎌倉風致保存会」の解説は、「原実 (市民運動家)」の解説の一部です。
「御谷騒動・鎌倉風致保存会」を含む「原実 (市民運動家)」の記事については、「原実 (市民運動家)」の概要を参照ください。

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