御谷騒動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/02 23:30 UTC 版)
跡地は宅地開発のため破壊されそうになり、1964年(昭和39年)「御谷騒動」が勃発した。市民、文化人が体を張ってブルドーザーを阻止し、やがて財団法人鎌倉風致保存会が設立され、ナショナルトラスト運動により保全されることとなった。これが同運動の先駆けであり、1966年(昭和41年)に古都保存法が制定される端緒となった。同年から何度か周辺の発掘調査が行われて全容が明らかとなった。1967年(昭和42年)には、若宮(材木座の本八幡)などとともに「鶴岡八幡宮境内」の名称で国の史跡に指定された。現在、御谷への入り口に鎌倉町青年会による「二十五坊旧蹟」と書かれた石碑が建っている。
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