御調朝貢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/25 13:20 UTC 版)
8世紀の終わりに新羅の国内が混乱すると、再び日本に慇懃な態度をとるようになり、宝亀10年(779年)、新羅は日本への服属を象徴する御調(みつき)を携え使者を派遣した。この調は、日本が新羅に要求し続けた念願の品であった。 また、新羅の混乱により多数の難民が日本列島へ亡命し、大量に帰化を申請する事態が発生するが、日本側は、「蛮国」の人民が天皇の徳を慕って帰化を願うことは、日本における中華思想にかなっていたため、帰化を許可した。
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