御誄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 02:19 UTC 版)
崩御を受け、第125代天皇明仁は以下の御誄(おんるい:追悼の辞)を述べた。 明仁謹んで御母皇太后の御霊に申し上げます。在りし日のお姿や明るいお声は今もよみがえって日夜心を離れず、思い出は尽きることがありません。哀慕の情はいよいよ胸にせまるものがあります。ここに、霊柩を殯宮にお遷しして、心からお祭り申し上げます。 — 明仁、2000年(平成12年)6月29日。殯宮移御後一日祭の儀において 明仁謹んで御母皇太后の御霊に申し上げます。長き歳月、昭和天皇をお助けになり、温かく、香しくましました在りし日のお姿は今も深く心に残っております。ここに、追号して香淳皇后(こうじゅんこうごう)と申し上げます。 — 明仁、2000年(平成12年)7月10日。追号奉告の儀において 明仁謹んで御母香淳皇后の御霊に申し上げます。昭和天皇の崩御あそばされてより十一年、吹上大宮御所にお過ごしの日々が穏やかにして一日も長からんことを願い、お側近く過ごしてまいりましたが、この夏の始め、むなしく幽明界を異にするにいたりました。在りしの日のお姿を偲びつつ、櫬殿に、また殯宮におまつり申し上げること四十日、ここに斂葬(れんそう)の日を迎え、葬列をととのえ、昭和天皇のお側にお送り申し上げます。お慈しみの下にあった去りし日々を思い、寂寥は深く、追慕の念は止まるところを知りません。誠に悲しみの極みであります。 — 明仁、2000年(平成12年)7月25日。斂葬の儀 葬場殿の儀において 7月25日に東京都文京区の豊島岡墓地で斂葬の儀(喪主:天皇明仁)が行われた。陵墓は、東京都八王子市長房町の武蔵野東陵。
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