後年のキャリアと退職後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/20 15:24 UTC 版)
「セフトン・デルマー」の記事における「後年のキャリアと退職後」の解説
第二次世界大戦終結後、OBEが授けられたデルマーは再びデイリー・エクスプレスに戻り外務担当のチーフ記者となった。その後の15年間、同紙のほとんど全ての外信記事はデルマーの筆によるものである。彼の記事で特にセンセーショナルなものは、1952年3月17日に同紙で報じたもので、ラインハルト・ゲーレンがCIAから組織化を任されていたゲーレン機関 (Gehlen Organization) にナチの残党(英語版)が数多くスカウトされていたというスクープである(記事の題名: "Hitler's General Now Spies for Dollars")。しかしこういった同紙での活躍にもかかわらず1959年、給与上の問題から社主ビーヴァーブルック卿によりデルマーは解雇された。その後彼はエセックス州のリトル・サンプフォード(英語版)近郊にあるヴィレッジ、ラマーシュに隠遁した。リトル・サンプフォードには前妻のイザベルと彼女の三番目の夫が共に住んでいた。 彼は2冊の自伝を執筆した。"Trail Sinister"(『邪悪な痕跡』、1961年)と"Black Boomerang"(『ブラック・ブーメラン』、1962年)がそれである。他に"Weimar Germany"(『ワイマール・ドイツ』、1972年)、"The Counterfeit Spy"(『食わせ者』、ISBN 9780091097004 1971年)など数多くの自著を持つ。 デヴィッド・ヘアーは1978年、ブラック・ブーメランを下敷きに第二次世界大戦中のイギリスのブラック・プロパガンダを描いた「リッキング・ヒトラー(英語版)」("Licking Hitler")というBBCのテレビ劇を制作している。プロットの一部は、欺瞞放送が当局に見つかり放送員が射殺されるというもので、デルマーがまさに「デア・シェフ」のとどめを刺したのと同様の展開である。 デルマーは1962年6月には米軍に対する心理戦(PSYOP)のレクチャーのため、また1973年7月には第1心理戦大隊司令部(英語版)(1st PSYOP Battalion Command)での講演のためフォートブラッグ基地(情報戦に長けた特殊部隊があることで有名)を訪れている。
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