形式的誤謬としての人身攻撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 19:36 UTC 版)
「人身攻撃」の記事における「形式的誤謬としての人身攻撃」の解説
人身攻撃が誤謬である場合、次のような基本的形式を持つ。 A という人が X と主張する A について何らかの疑惑/問題/いかがわしい点がある 従って、X という主張は偽である 例えば、次のような例がある。 ナチス・ドイツは優生学を利用していた ナチスは悪い集団である したがって、優生学は悪い考え方である 人身攻撃は、論理学や批判的思考でよく取り上げられる誤謬である(ナチスと優生学の例は正しいように思えるかもしれないが、「ジョージ・ワシントンは奴隷を所有していた」「ワシントンは偉大な人物だ」「よって奴隷制度は正しい」という主張と論理的に同一のものである)。この誤謬やそれに基づいた告発は、実際の会話でよく見られる。人間の脳がパターンを認識する性質のため、修辞学の技法としては強力である。逆に主張を行う人のポジティブな面に基づいた論証を権威に訴える論証と呼ぶ。 議論において、最初の前提は「事実の主張」と呼ばれ、議論の軸となることが多い。論点は「推論上の主張」と呼ばれ、何らかの推論過程で表される。推論上の主張には、明示的なものと暗黙的なものがある。前提を全て真と見なしたとしても、それによって結論が真であることを保証できないため、この誤謬の推論形式は妥当ではない。これには、具体的に述べられていない前提に基づいた論証でも同じである。 例えば、次のような形式である。 A という人が X と主張する A について何らかの疑惑/問題/いかがわしい点がある (A が主張することはいつも間違っている) 従って、X という主張は偽である ここで明示的に述べられていない前提「A が主張することはいつも間違っている」が追加されている。この一文が真であるなら、この論証は妥当となる。しかし、人身攻撃では具体的に述べられない前提は偽であることが多く、単に誤謬を補強しているに過ぎない。たとえば、 ジョージ・ワシントンは奴隷を所有していた ワシントンは偉大な人物だ したがって、奴隷制は正しい という例における「偉大なワシントンが行ったことはすべて正しい」という明示的に述べられていない前提は、明らかに偽である。
※この「形式的誤謬としての人身攻撃」の解説は、「人身攻撃」の解説の一部です。
「形式的誤謬としての人身攻撃」を含む「人身攻撃」の記事については、「人身攻撃」の概要を参照ください。
- 形式的誤謬としての人身攻撃のページへのリンク