引退から現在
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/09 04:55 UTC 版)
兄の仕事を手伝っていたが、指導を請われて1977年(昭和52年)に自らの道場である佐藤塾を設立し、空手道の指導を始める。第2回オープントーナメント全世界空手道選手権大会には勝昭の弟子である原田裕次が出場するなど極真会館との交流もあった(大山倍達は勝昭について「佐藤君については破門にした覚えはない。」と語っており、勝昭から「道場を開きたい」という話があった時に「それはいい。本部直轄の道場にしたい。」と言っていたがそのままになったという)。 その後、自ら寸止め空手の技とフルコンタクト空手のパワーを併せ持ったポイントアンドノックアウトルールを1985年に創り、ポイントアンドノックアウト全日本選手権大会を佐藤塾主催として立ち上げた。第一回は、長谷川一之が優勝。30年の歴史には、空手界の素晴らしい選手が出場している。その後、正道会館の角田などが出場するなど、佐藤塾では、川北雅一、大西健太郎、勇三道場の代表松本勇三、日本国際空手協会代表および勇志会師範松井宣治などテクニックの素晴らしい選手を輩出し、技が必要とされる大会といわれるようになった。 その後2004年に特定非営利活動法人空手道POINT&K.O.ルール協会を佐藤は立ち上げ、流派を問わず、フルコン、寸止めを問わず、ルールによって公平に裁かれ、真のチャンピオンを生み出す事と、このポイントアンドノックアウト空手道選手権大会は、佐藤塾から真の公開試合POINT&K.O.空手道選手権大会として11年、ルールができて30周年を迎える歴史ある大会となった。審判はライセンス制をとり、非社会的活動をするもの以外は出場することに憚ることはない公平な大会だといわれている。また、第一回から文部科学大臣の賞が下付されている。
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