建築略歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/20 07:40 UTC 版)
制作という点ではパルラスマの作品はその経歴を通じて変わってきている。初期においては合理主義、標準化、プレハブ化が主たる関心であった。これは部分的には彼の師であり比例システムや標準化に関心があったオーリス・ブロムシュテットの影響でもある。これら原理を示したパルラスマの最初の作品は『モディーリ225』(クリスチャン・グーリクセンとの共作)であり、これは工業製品化された夏の休暇小屋であり、1969-1971年にフィンランドで実際に6戸程度が制作された。しかしながらこの種の建築の主要モデルは日本建築と洗練され抽象化されたミース・ファン・デル・ローエであったとも言える。フィンランドではこの種の建築は「コンストラクティヴィズム」と呼ばれ・・アヴァンギャルドのロシア・コンストラクティズムとは家族的類似に過ぎない・・この時期や1950年代、60年代には、フィンランドにおいてますます顕著に特異な個人主義となりつつあったアルヴァ・アールト作品に反対するものでもあった。だが日本建築への興味はのちのパルラスマの関心をも胚胎していた。素材や経験の現象学である。ディテールや展示作品などの小品への彼の関心は時として「宝石箱建築家」というレッテルを彼にもたらしもした。2006年にはヘルシンキ中心部に、バスターミナル、商業施設、それに共同住宅からなる複合施設でり、それまでで最も大きな作品であるカンピセンターの竣工を見る。もっともこの施設は異なる部分に分割されて複数の建築家による共作であり、ヘリン社が統括するものではあった。
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