延暦寺との境界争いとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 延暦寺との境界争いの意味・解説 

延暦寺との境界争い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 08:14 UTC 版)

八瀬童子」の記事における「延暦寺との境界争い」の解説

比叡山寺領入会権持ち洛中での薪炭木工品販売特権認められた。永禄12年1569年)、織田信長八瀬郷の特権保護する安堵状与え慶長8年1603年)、江戸幕府成立に際して後陽成天皇八瀬郷の特権旧来どおりとする綸旨下している。 延暦寺八瀬郷は寺領村地境界めぐってしばしば争ったが、公弁法親王天台座主就任すると、その政治力背景幕府八瀬郷の入会権廃止認めさせた。これに対し八瀬郷は再三にわたり復活願い出る認められず、宝永4年1707年になってようやく老中秋元喬知裁定下し延暦寺寺領を他に移し寺領村地禁裏領付替えることによって、朝廷裁量によって八瀬郷の入会権保護するという方法解決した八瀬郷はこの恩に報いるため秋元祭神とする秋元神社建立し徳をたたえる祭礼行った。この祭礼は「赦免地踊」と呼ばれる踊り奉納中心とするもので、現在でも続いている(毎年10月の第2日曜日)。

※この「延暦寺との境界争い」の解説は、「八瀬童子」の解説の一部です。
「延暦寺との境界争い」を含む「八瀬童子」の記事については、「八瀬童子」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「延暦寺との境界争い」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「延暦寺との境界争い」の関連用語

1
12% |||||

延暦寺との境界争いのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



延暦寺との境界争いのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの八瀬童子 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS