広島医大時代
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1952年(昭和27年)4月1日 - 広島県立医科大学を改組し、広島医科大学(新制)が開学。 4月11日 - 広島医科大学第1回入学式を挙行。 1953年(昭和28年)8月1日 - 広島大学医学部が設置。広島医科大学は年次移管により、広島大学に併合。8講座(解剖学第一・第二、生理学、生化学、薬理学、病理学第一・第二、細菌学)を移管。 1954年(昭和29年)4月1日 - 6講座(衛生学、法医学、内科学第一・第二、外科学第一・第二)を移管。 1955年(昭和30年)4月1日 - 広島大学医学部医学進学課程を設置。3講座(神経精神医学、小児科学、産科婦人科学)を移管。 1956年(昭和31年)3月15日 - 広島医科大学第1回卒業式(最後の卒業式)を挙行。 3月31日 - 文部省告示第67号により、広島医科大学廃止。 4月 - 4講座(整形外科学、皮膚泌尿器科学、眼科学、耳鼻咽喉科学)を移管し国立移管完了。附属病院(本院・阿賀分院・音戸分院)・附属厚生女学院も国に移管され広島大学医学部附属病院・医学部附属看護学校となる。 11月 - 音戸分院を廃止。 1957年(昭和32年)2月6日 - 広島市への移転を開始。 9月 - 阿賀分院を廃止。 9月30日 - 広島市への移転を完了。 1961年(昭和36年)3月31日 - 広島県立医科大学(旧制)廃止。
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広島医大時代
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1956年(昭和31年)4月 - 附属病院(本院・阿賀分院・音戸分院)が国に移管され広島大学医学部附属病院となる。 1956年(昭和31年)11月 - 音戸分院廃止。 1957年(昭和32年)9月 - 阿賀分院廃止。
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