広島原爆レポ第1号
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 02:46 UTC 版)
「ウィルフレッド・バーチェット」の記事における「広島原爆レポ第1号」の解説
上記の広島に関するものは多くの文献で書かれているものである。海外への広島原爆ルポは長らくバーチェットが最初とされており広島市および広島県も認定していたが、1998年11月日本外国特派員協会発行『Foreign Correspondents in Japan: Reporting a Half Century of Upheavals : From 1945 to the Present』によってUP通信(UPI通信)レスリー・ナカシマが1945年8月27日に打電したものが最初であることが判明した。なお上記にでてくる『ニューヨーク・タイムズ』でもプレスコードが始まる前でありバーチェットよりも早い同年8月31日付でナカシマの記事を掲載している。 バーチェットだと誤認された過程を地元紙中国新聞が2000年10月5日付で報じている。 1954年8月号『世界』岩波書店発行 - バーチェットの寄稿を掲載。この際「単身広島に至り、原爆被害第一報を打電…全世界に訴えられた」と世界(岩波)側が前置きに記載。 1959年『原水爆時代』今堀誠二著三一書房発行 - バーチェットの記事と、世界の共通キャンペーンとなった「ノー・モア・ヒロシマ」を彼が唱えたとして紹介。なおこの原水爆時代は現在でも原爆文献の古典として重要視されている。 他の研究者や報道機関は『原水爆時代』をソースに記載。 現在、広島県および広島市の資料ではナカシマが初として修正されているが、一方でバーチェットも同時期に報道していたとして紹介はされている。
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