ノー・モア・ヒロシマ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 02:46 UTC 版)
「ウィルフレッド・バーチェット」の記事における「ノー・モア・ヒロシマ」の解説
「ノー・モア・ヒロシマ」は、ナカシマと同じUP通信のルサフォード・ポーツが谷本清への取材記事を1948年3月に打電した中で初めて唱えられ、駐留米軍紙を経てアメリカ人教会管理人アルフレッド・パーカーが平和運動のスローガンに用いて世界に広がったのが正しい経緯である。つまり谷本とパーカーが運動提唱者、ポーツが初報道者になる。 これも上記のように多くの資料でバーチェットが唱えたと誤認されている。1945年9月3日付『デイリー・エクスプレス』にはノー・モア・ヒロシマという文字は記載されておらず、バーチェット自身ものちの取材に対し自分ではないと否定している。
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