広島博愛病院
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 09:03 UTC 版)
「広島赤十字・原爆病院メモリアルパーク」の記事における「広島博愛病院」の解説
広島鎮台(のちの陸軍第5師団)の拠点であった広島において、軍医長瀬時衡や県令千田貞暁などの尽力により、1886年(明治19年)10月下中町に「広島博愛病院」が開院した。これは東京の博愛社病院(日本赤十字社医療センター)より前に開院したことになる。ただし現在日赤が公表する資料では広島博愛病院は日赤広島病院の前身ではないとしている。 この博愛病院を経営的に支えるものとして「広島博愛社」が同年11月に設立した。1888年(明治21年)ジュネーブ条約調印に伴い広島博愛社は日本赤十字社広島支部に改称している。 1893年(明治26年)には全国に先駆けて広島博愛病院内で看護婦養成を始めている。1894年(明治27年)日清戦争で広島大本営が置かれ兵站拠点となった広島において、広島博愛病院は兵站病院を担った。増え続ける負傷兵に対応するため同年8月から同年10月までの間「広島陸軍予備病院一分舎」が置かれた。
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