平安・鎌倉・戦国期の馬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 17:40 UTC 版)
「長篠の戦い」の記事における「平安・鎌倉・戦国期の馬」の解説
武田氏の本国である甲斐国を含む中部高地では西日本に先行して古墳時代の4世紀後半代に馬(現在の木曽馬等の祖先)が伝来し、馬骨や馬歯、古墳の副葬品としての馬具の出土事例が見られる。古代には記紀に甲斐の黒駒と称される名馬の伝承が記され、聖徳太子が付加される。平安時代には御牧が経営され朝廷に貢馬を行っている。また、戦国期に武田領国となった信濃においても伊那谷で古墳時代からの馬の出土事例があり、平安時代には御牧が存在した。 甲斐国における馬遺体の出土は戦国期のものが少なく、平安・鎌倉時代のものが多数を占めている。南アルプス市百々(どうどう)の百々遺跡や南アルプス市の大師東丹保遺跡、甲府市朝気の朝気遺跡からは馬遺体が多数出土しているが、三者とも乗馬ではなく、百々遺跡は馬遺体は皮革利用、後二者は駄馬・農耕馬であると考えられている。 戦国期の馬遺体では甲府市武田の武田氏館跡から出土した馬の全身骨格が知られる。これは西曲輪南側の枡形虎口に伴い馬出空間から出土した個体で、年代は戦国期から近世初期、推定年齢12歳の雄であると推定されている。
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