師団への昇格とは? わかりやすく解説

師団への昇格

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/15 01:43 UTC 版)

第33SS武装擲弾兵師団」の記事における「師団への昇格」の解説

この頃徐々にドイツ本国へ迫る西部戦線において、連合軍所属するフランス軍部隊自由フランス軍)と武装親衛隊フランス人義勇兵交戦する可能性出てきたため、「シャルルマーニュ」旅団西部戦線戦わないよう親衛隊全国指導者ハインリヒ・ヒムラーから特別の配慮受けた。さらにヒムラーは、彼らがフランス国旗の下で戦うこと、カトリック従軍司祭同行許可与えること(ドイツ国防軍異なり武装親衛隊従軍司祭制度はない)、ドイツ勝利した暁にはフランス主権回復することも確約した1945年2月10日2月1日とする説もある)、SS所属武装擲弾兵旅団シャルルマーニュ」はさらに拡張され師団規模昇格正式に第33SS所属武装擲弾兵師団シャルルマーニュ」(フランス第1)(33. Waffen-Grenadier-Division der SS "Charlemagne" (französische Nr. 1)) となった。この時のシャルルマーニュ師団の編制次の通り。 第33SS所属武装擲弾兵師団シャルルマーニュ」(フランス第1)(1945年2月師団長 エドガー・ピュオ武装上級大佐(W-Obf. Edgar Puaud) フランスSS部隊査察部 グスタフ・クルケンベルクSS少将(SS-Brigf. Gustav Krukenberg) 名誉中隊戦術学校ヴィルヘルム・ヴェーバーSS中尉(SS-Ostuf. Wilhelm Weber) 第57SS所属武装擲弾兵連隊 ヴィクトル・ド・ブルモン武装大尉(W-Hstuf. Victor de Bourmont) 第58SS所属武装擲弾兵連隊 エミール・レイボー武装少佐(W-Stubaf. Emile Raybaud) 第33SS所属武装戦車猟兵大隊 ジャン・ブデ=グージ武装少佐(W-Stubaf. Jean Boudet-Gheusi) 第33SS所属武装砲兵大隊 ジャン・アヴェット武装大尉(W-Hstuf. Jean Havette) 第33SS工兵中隊 第33SS通信中隊 第33SS教育補充中隊 第57SS野戦憲兵隊 第57SS野戦郵便局 しかし、訓練期間中の1944年12月には7,340名 の将兵数えたシャルルマーニュであったが、ヴァイクセル軍集団報告書1945年2月15日付)の人員表によると、1945年2月ポメラニア戦線出陣時のシャルルマーニュ師団兵力将校102名、下士官886名、兵5,375名の合計6,363名 であり、国防軍中でも劣弱とされた国民擲弾兵師団定数1万余り)をも下回っていた。

※この「師団への昇格」の解説は、「第33SS武装擲弾兵師団」の解説の一部です。
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