師団への昇格
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「第33SS武装擲弾兵師団」の記事における「師団への昇格」の解説
この頃、徐々にドイツ本国へ迫る西部戦線において、連合軍に所属するフランス軍部隊(自由フランス軍)と武装親衛隊フランス人義勇兵が交戦する可能性が出てきたため、「シャルルマーニュ」旅団は西部戦線で戦わないよう親衛隊全国指導者ハインリヒ・ヒムラーから特別の配慮を受けた。さらにヒムラーは、彼らがフランス国旗の下で戦うこと、カトリックの従軍司祭の同行許可を与えること(ドイツ国防軍と異なり、武装親衛隊に従軍司祭制度はない)、ドイツが勝利した暁にはフランスの主権を回復することも確約した。 1945年2月10日(2月1日とする説もある)、SS所属武装擲弾兵旅団「シャルルマーニュ」はさらに拡張されて師団規模に昇格、正式に第33SS所属武装擲弾兵師団 「シャルルマーニュ」(フランス第1)(33. Waffen-Grenadier-Division der SS "Charlemagne" (französische Nr. 1)) となった。この時の「シャルルマーニュ」師団の編制は次の通り。 第33SS所属武装擲弾兵師団 「シャルルマーニュ」(フランス第1)(1945年2月) 師団長 エドガー・ピュオ武装上級大佐(W-Obf. Edgar Puaud) フランスSS部隊査察部 グスタフ・クルケンベルクSS少将(SS-Brigf. Gustav Krukenberg) 名誉中隊(戦術学校) ヴィルヘルム・ヴェーバーSS中尉(SS-Ostuf. Wilhelm Weber) 第57SS所属武装擲弾兵連隊 ヴィクトル・ド・ブルモン武装大尉(W-Hstuf. Victor de Bourmont) 第58SS所属武装擲弾兵連隊 エミール・レイボー武装少佐(W-Stubaf. Emile Raybaud) 第33SS所属武装戦車猟兵大隊 ジャン・ブデ=グージ武装少佐(W-Stubaf. Jean Boudet-Gheusi) 第33SS所属武装砲兵大隊 ジャン・アヴェット武装大尉(W-Hstuf. Jean Havette) 第33SS工兵中隊 第33SS通信中隊 第33SS教育・補充中隊 第57SS野戦憲兵隊 第57SS野戦郵便局 しかし、訓練期間中の1944年12月には7,340名 の将兵を数えた「シャルルマーニュ」であったが、ヴァイクセル軍集団の報告書(1945年2月15日付)の人員表によると、1945年2月のポメラニア戦線出陣時の「シャルルマーニュ」師団の兵力は将校102名、下士官886名、兵5,375名の合計6,363名 であり、国防軍の中でも劣弱とされた国民擲弾兵師団(定数1万名余り)をも下回っていた。
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