師の書斎鈴屋の由来
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宣長28歳の頃に帰郷後、松坂魚町一丁目の自宅内で内科・小児科医を開業し、その余暇には宅にて古典講釈塾を開き「源氏物語」等を町人に教えていた。宝暦13年(1763年)江戸の国学者賀茂真淵と松坂に於いて一夜対面し、翌年入門文通で指導を受け約6年間交流が続いた。入門の弟子も増え、宣長の家の二階を53歳のとき改造して新しい書斎を作った。この工事は天明2年(1782年)の冬に出来上がり、静かに勉学に打ち込めて学問の出来る書斎となつた。明くる年の3月9日、門人らとともに初めて歌会が催された。その時宣長は、この部屋に鈴をかけてこれを鳴らし、その清い音にむかしをしのぶことを歌に詠んでいる。そして、この家の書斎を鈴屋と名付けた。大変鈴を愛でておられた宣長は珍しい鈴を集めておられた。 現在松坂の鈴屋遺跡保存会には八角型鉄鈴・三つ独胡鈴・巾着型古鈴・茄子型古鈴・駅 鈴・人面の古鈴・八面型古鈴など7種類の鈴が保管されている。○「鈴屋集」五に鈴屋をよんだ長歌の後に次の記事を書きその由来の次第を明らかにしている。「鈴の屋とは、三十六の小鈴を、赤き緒にぬきたれて、はしらなどにかけをきて、物むつかしきをり引きなして、それが音をきけば、こゝちもすがすがしくおもほゆ、そのすずの歌は、☆とこのべにわがかけて いにしへしのぶ 鈴がねさやさや☆ かくて、此屋の名にもおほせつかし。」
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