師にしてライバル ラインマル・フォン・ハーゲナウ
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「ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデ」の記事における「師にしてライバル ラインマル・フォン・ハーゲナウ」の解説
ヴァルターは若い頃、オーストリア公レオポルト 5 世のウィーンの宮廷で、有名なミンネゼンガー、ラインマル・フォン・ハーゲナウ(ドイツ語: Reinmar von Hagenau またはラインマル・デア・アルテ ドイツ語: Reinmar der Alte)の下で修行した。オーストリア宮廷で全盛を誇った師匠ラインマルの死について、後にヴァルターは、「勝れた才能」を発揮して「一日たりとも倦むことなしに婦人たちを称えた」、と追悼している。続いてヴァルターはオーストリア公フリードリヒ 1 世の庇護を受けた。彼にとっては最初のパトロンである。この時期は彼の人生の中で最も幸せだった時期で、彼は愉快でのびのびした恋愛叙情詩を生み出したが、1198年のフリードリヒ 1 世の死でそれは終わってしまった。 オーストリア公の位を継いだのはフリードリヒ 1 世の弟レオポルト(6世)であった。ヴァルターはその騎士叙任式(1200年)あるいは結婚式の祝い(1203年)に際しての、新しい公の大盤振る舞いを歌っている。しかし、レオポルト 6 世はヴァルターを(長く)厚遇しなかったようで、「オースタリー公の施しは / 心地よく降る慈雨のように / 人をも国をもよろこばせている(が)」、「仕合せの門は閉ざされて / 孤児のごとくその前に私は一人で立っている」と嘆いている。
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