市長選への立候補
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/13 02:11 UTC 版)
2007年4月17日に起きた長崎市長射殺事件で市長の伊藤一長が死亡したことを受け、4月19日、長崎市長選挙に補充立候補した。公職選挙法の規定により市職員は失職となった。 補充立候補には田上と、伊藤の娘婿で西日本新聞記者の横尾誠が届け出た。立候補に必要な戸籍謄本を取り寄せに親族が本籍地の五島まで戻っていたため、田上の届け出が完了したのは受付締切の直前だった。 選挙事務所は4月20日に借り、ポスターは一晩で印刷し、立候補を聞いて駆けつけた友人・知人が一晩、夜通しで掲示板に貼り付けた。田上や支援者は2日間で数時間しか寝られないほどの多忙だったという。 田上は選挙戦で「市政は、一人のものでもなければ、もちろん、家族(伊藤・横尾両家)のものでもありません。このような形で、新しい市長が決まっていいのだろうかと…」と、故人や遺族への同情で票が流れやすいと言われる弔い選挙の中で自らの主張を貫いた。「市民力」を合言葉に長崎市民の力で市政を行うべきだと訴え、急ごしらえの選挙活動で超短期決戦を制した。 立候補は各政党関係者にとっても突然の話であったが、伊藤を支持していた一部の経済関係者や県選出の国会議員、市職員時代に携わったイベントの関係者などの支持を受け、横尾を953票差で降して当選した。なお、伊藤の死亡に伴って立候補した経緯から、万歳三唱を行うことは自粛し、支持・支援をしてくれた人々への感謝の気持ちを込めた拍手のみとした。
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