市立劇場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/07 06:28 UTC 版)
「フィルハーモニア・チューリッヒ」の記事における「市立劇場」の解説
1891年に建てられた市立劇場(Stadttheater)では、リヒャルト・シュトラウスや若き日のヴィルヘルム・フルトヴェングラーがオーケストラを導く。シュトラウスは次作の舞台作品を数多くチューリッヒで指揮、上演した。ナチス時代には、ドイツやオーストリアから追放、あるいは忌避されていた作曲家たちの作品、アルバン・ベルクの『ルル』、パウル・ヒンデミットの『画家マティス』などが初演された。またオペレッタの分野でも、当時名指しで誹謗されていたユダヤ系作曲家たち、例えばラルフ・ベナツキー、オスカー・シュトラウス、パウル・アブラハム、エメリッヒ・カールマンなどの作品を率先して取り上げた。その他にも、チューリッヒ歌劇場(Opernhaus Zürich:1964年以来、市立劇場(Stadttheater)はこう呼ばれた)では、20世紀の重要な作品の初演が数多く行われた。 1944年、チューリッヒにあったラジオ・オーケストラがSRG(当時のスイスラジオ放送局 Schweizerische Rundspruchgesellschaft)を解雇され、チューリッヒ市長アドルフ・リュヒンガーの決断により、全てのラジオ・オーケストラ団員がトーンハレ協会のオーケストラに吸収される。142人からなるこのオーケストラは、コンサートのグループと劇場のグループに分けられ、その後チューリッヒ・トーンハレ=テアター管弦楽団(Tonhalle-Theaterorchester Zürich, TTO)と呼ばれるようになる。契約及び仕事の環境は両グループともに対等であり、トーンハレ協会(Tonhalle-Gesellschaft)と劇場株式会社(Theater AG)の間で、公平なオーケストラの管理部門と役員委員会が設置された。 1946年、初めての女性ヴァイオリニストを雇用する。その後1968年までに、15人の女性演奏家が雇用契約されている。 TTOの劇場オーケストラ史上のハイライトは、1970年代、ニコラウス・アーノンクール指揮、ジャン=ピエール・ポネル演出のモンテヴェルディ・モーツァルト・チクルスである。と同時に、フェルディナント・ライトナー(歌劇場音楽監督:1969年 - 1984年)、ネルロ・サンティ(音楽監督:1958年 - 1969年、その後は常任客演指揮者)などの指揮者たちに歌劇場のオーケストラは率いられる。
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