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市川堅太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/08 17:47 UTC 版)

市川 堅太郎(いちかわ けんたろう、1870年9月10日明治3年8月15日[1]) - 1925年大正14年)2月4日[1])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴

石川県金沢市知行100石の旧加賀藩士の家に生まれる[1]1890年(明治23年)7月、陸軍士官学校(1期)を卒業[1][2]。翌年3月、歩兵少尉任官[2]1900年(明治33年)12月、陸軍大学校(14期)を卒業[1][3][4]参謀本部勤務となる[4]

日露戦争第4軍参謀として出征した[1]1908年(明治41年)12月、第2師団参謀長に就任し、1909年(明治42年)1月、歩兵大佐に昇進した[3]1912年(大正元年)11月、歩兵第9連隊長となる[3]1914年(大正3年)11月、陸軍少将に昇進し歩兵第7旅団長に着任[1][3]

1916年(大正5年)4月、歩兵第39旅団長となり、1917年(大正6年)8月、朝鮮駐剳軍参謀長に異動[1][3]1918年(大正7年)5月、朝鮮駐剳軍が朝鮮軍と改称し引き続き参謀長を務めた[1][3]1918年(大正7年)11月、陸軍中将に進み由良要塞司令官に就任[1][3]1919年(大正8年)11月、第15師団長に親補された[1][3]1922年(大正11年)8月、待命となり、1923年(大正12年)3月、予備役に編入された[3]。墓所は多磨霊園

栄典

位階
勲章等

親族

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k 『日本陸軍将官辞典』81頁。
  2. ^ a b 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』91-92頁。
  3. ^ a b c d e f g h i 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』92頁。
  4. ^ a b 『日本陸海軍総合事典』第2版、550頁。
  5. ^ 『官報』第2576叙任及辞令」1892年2月4日。
  6. ^ 『官報』第3274号「叙任及辞令」1894年5月31日。
  7. ^ 『官報』第7743号「叙任及辞令」1909年4月21日。
  8. ^ 『官報』第2530号「叙任及辞令」1921年1月11日。
  9. ^ 『官報』第3215号「叙任及辞令」1923年4月21日。
  10. ^ 『官報』第5824号「叙任及辞令」1902年12月1日。
  11. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1906年12月10日。
  12. ^ 『官報』第8392号「叙任及辞令」1911年6月14日。
  13. ^ 『官報』第205号・付録「辞令」1913年4月9日。
  14. ^ 『官報』第2612号「叙任及辞令」1921年4月19日。
  15. ^ 『官報』第2858号・付録「辞令」1922年2月14日。

参考文献

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。



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