市場圏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/15 02:09 UTC 版)
「アル=マディーナ・スーク」の記事における「市場圏」の解説
アレッポの市場圏は北部の山岳地帯、西部の農業地帯、東部の砂漠地帯という地理的特徴を持つ。水運は北部にユーフラテス川、西部に地中海のイスケンデルンなどの港があり、広域な輸送を可能にした。 ユーフラテス川の船かラクダのキャラバンでペルシア湾やインド洋につながるルートでは、インドの綿織物やインディゴ、東南アジアの香辛料、中国の陶磁器を運んだ。アナトリア南東部からイランにつながるルートでは、イランの絹織物や生糸、綿更紗を運んだ。イスケンデルンから地中海につながるルートはヨーロッパとの貿易で重要となった。北上してアナトリアへとつながるルートはエーゲ海やイスタンブール、ポーランドやロシアに通じていた。重要な情報の伝達には伝書鳩が使われ、イスケンデルンからアレッポまで3時間で伝えられた。 陸上輸送は、平坦な土地や砂漠ではラクダ、アナトリアなどの山地ではラバ、馬、ロバ、水牛が使われた。1598年のヨーロッパ人による記録では、キャラバンが年2回定期的にアレッポとバスラやバグダードを往復していた。規模の大きなキャラバンは、アレッポとバスラ間は30日から70日、アレッポとバグダード間は25日から36日をかけて移動した。 水運では、インド洋からの船がユーフラテス川をさかのぼってバスラまで商品を運び、川幅が広くなるビレジキまで別の船で運んだ。ビレジキは16世紀以降に造船所として活発になり、アレッポからも職人が派遣された。 アレッポの市場圏はこうした広域の取引とともに、地域経済の中心になっていた。アナトリアの遊牧民の畜産品、ダマスクスの手工芸品も取引された。ディヤルバクルやトカトなどの都市は、アレッポの市場圏に入った影響で手工業が盛んになった。
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