進歩党の構成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/07 07:25 UTC 版)
進歩党の議員たちには当初より2つの立場があった。一つは1848年革命の民主派の系譜を継ぐ急進的理念家たちである。彼らはベネディクト・ヴァルデック(ドイツ語版)やヘルマン・シュルツェ=デーリチュ等を中心とし、なによりも議会主義的憲政と市民的自由の確保を優先した。そのためビスマルクの軍制改革や無予算統治に対して断固抵抗の姿勢を貫いた。 これに対するもう一方は改良主義的現実主義者たちであり、カール・トヴェステン(ドイツ語版)やオットー・ミヒャエリス(ドイツ語版)らが該当する。彼らは自由主義の実現は現実の政治情勢の下でのみ可能と考え、ドイツ統一に役立つ政策を取るならばたとえ反動政府であっても積極的に協力し、その見返りとして議会権限の強化を引き出すという柔軟な戦術が必要と考えていた。特にミヒャエリスのような自由貿易主義者はドイツ関税同盟を軸とした統一市場圏確立を願っていたが、ビスマルクが着実にそれを遂行しているがゆえにビスマルクへの批判は軟弱なものにならざるを得なかった。 急進的理念家と改良主義的現実主義者、数の上では常に後者の方が多かったのだが、ビスマルクの首相就任前後は進歩党の議席が大きく伸びた時期であったため、その勢いに乗って政府への対決姿勢を強め、急進的理念家が主導権を発揮することになった。だが1864年の第二次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争に始まるドイツ統一戦争が進むにつれて徐々に改良主義的現実主義者の声が大きくなっていき、党内の亀裂は深刻化し、最終的には改良主義的現実主義者たちが進歩党を出て国民自由党を旗揚げすることになるのである。
※この「進歩党の構成」の解説は、「ドイツ進歩党」の解説の一部です。
「進歩党の構成」を含む「ドイツ進歩党」の記事については、「ドイツ進歩党」の概要を参照ください。
- 進歩党の構成のページへのリンク