進歩共和党
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 05:35 UTC 版)
「キャーズム・カラベキル」の記事における「進歩共和党」の解説
ケマルに次ぐ功績を挙げたカラベキルだったが、改革方針についてはケマルと見解を異にすることが多かった。ケマルと異なりカラベキルはカリフ制の早期廃止には反対で、特にイギリスとのモスル州帰属問題が解決する以前に廃止すると、イギリスに付け込まれると考えていた。カラベキルの予想通り、カリフ制廃止の翌1925年にトルコ東部でシェイフ・サイトの反乱が発生し、その混乱に注意が向いている間にモスル州はイギリス委任統治領メソポタミアに編入された。このためカラベキルとケマルの対立はさらに深まった。[要出典] ケマルの共和人民党に対抗して、1924年にカラベキルは進歩共和党を結成して党首に就任していたが、シェイフ・サイトの反乱やイズミルでのケマル暗殺未遂事件を理由に、進歩共和党は1925年6月に解党に追い込まれ、カラベキルら党員は逮捕された。死刑の可能性もあったカラベキルは政界から離れ、隠棲して回顧録執筆に専念するようになった。しかしこの著書も発禁処分を受けた。新生トルコ共和国はケマルの強権により改革が推進される一党独裁制となったのである。
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