進歩党分裂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/07 07:25 UTC 版)
普墺戦争中の1866年5月9日に衆議院が解散され、7月3日のケーニヒグレーツの戦いの日に総選挙が行われた。ビスマルクのドイツ統一事業への評価は高まっており、進歩党は143議席から83議席へ激減、逆に「政府への無条件支持」を唱える保守派が大幅に議席を増大させる結果となった。 この選挙結果を受けてビスマルクは1862年以来の無予算統治に事後承認を与える事後承認法を議会に議決させ、憲法闘争を終結させた。この事後承認法の賛否をめぐって進歩党は分裂し、賛成する議員たちは進歩党を出て国民自由党(NLP)を結党した。この国民自由党は保守党から分党したビスマルク支持派の自由保守党とともに北ドイツ連邦やドイツ帝国の帝国議会においても多数派を占め、ビスマルク政府の与党的勢力となる。
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