工学三科の設置
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 12:25 UTC 版)
横濱専門学校工学科(機械工学、電気工学、工業経営の工学三科)は、1931年の満州事変、1937年の盧溝橋事件勃発と、日本が中国との泥沼の全面戦争(日中戦争)に踏み込み、戦争に伴う軍需工業と重化学工業の需要が高まる中、日本政府は工業技術者養成機関の大拡張政策を推進する状況の中で、当時、法学部の産業管理及び能率論の講師だった経営学者上野陽一(フレデリック・テイラーの科学的管理法を能率学と名付け、端緒的研究者)の提言により、「国策遂行ノ為メ、生産力拡充ノ要ハ焦眉ノ急ナリ、然ルニ斯界ノ実状必ズシモ安恕タリ得ズ、之本校ガ微力ヲモ顧ミズ増設ヲ発起セシ所以ナリ。」という政府の要望に答える形で、「日支事変による時局進展と共に各工業部門の拡大と相俟って必然的に問題化されてきた技術員特に、高等技術員の不足を補充し併せて専門学生として人格を陶冶し国体観念を涵養する目的」(『横専学報』第81号)をもって設置し、横浜高等工業高校(現・横浜国立大学工学部)の有力教員を引き抜いて構成された。
※この「工学三科の設置」の解説は、「神奈川大学」の解説の一部です。
「工学三科の設置」を含む「神奈川大学」の記事については、「神奈川大学」の概要を参照ください。
- 工学三科の設置のページへのリンク